自殺予防と心の痛み

  Jack Klott著「Suicide & Psychological Pain(自殺と心の痛み)」という本を読みました。鬱病の家族を介護する者にとって、一番怖いのはやはり自殺でしょう。ずっと生きづらさを抱えて生きてきた娘から「生きるのがつらい、私は生まれたくなどなかった」と言われても私はだだうなだれてそれを聞くしか術はなく、以前は「なんとかなるよ、生きるのは思ったほど大変じゃないよ」などと言っていたのですが、それはなんと脳天気な返事だっただろう、と今では思えます。「生まれたくなかった」という訴えは、娘がずっと抱えてきた「心の痛み」であって、「なんとかなるさ」程度ですまされるようなものではないのです。この本はセラピスト向けに、いかに患者の自殺を予防するかを中心に書かれているのですが、単なる介護者である私にも色々と学ぶところがありました。

 日本の自殺率は2016年時点で人口10万人当たり18.5人と世界でも上位10位に入るほど高いようですが(国の自殺率順リスト)、アメリカも低くはありません。この本によれば、アメリカ自殺学会は1992年に、自殺率を当時の人口10万人当たり10.9人から2000年までに一桁にするという目標を掲げていたそうですが、実際には増え続け、2016年時点では15.3人と、単純計算すれば1992年から24年間で40%ほど増えてしまったことになります。(特に2020年はコロナ禍もあり、自殺者の数はさらに増えているようです。)本書の著者は、こうした自殺率の増加を踏まえ、自殺予防の方法を考え直す必要があると提唱しています。「自殺は鬱病が原因だから鬱病を治すことがまず第一で、そのために様々な抗鬱剤を試すべきである」という考えではなく、心の痛みに向き合うことがまず第一だというのです。確かに、様々な抗鬱剤が開発されているにもかかわらず自殺率が増え続けていることは、抗鬱剤が自殺予防に有効ではないことを示しているとしか思えません。

 この「心の痛み」という言葉、英語では「psychache」というのだと知りました。アメリカ自殺学会を設立したシュナイドマン博士が、「心理」を示す「psych」に、「痛み」という意味の「ache」を組み合わせ、「罪悪感、苦悩、恐怖、パニック、不安、無力感などに伴う強い心理的な痛み」と定義した用語です。それが自殺のリスク要因であり、自殺予防の目標はそれを取り除くことであるべきなのですが、実際は「取り除く」ことは不可能かもしれません。それで、著書のKlott氏は、心の痛みに「対処する(cope)」方法を考えることが重要であると述べています。心の痛みがどこから生じているのかを深く掘り下げ、例えば環境的な要因であれば変更できるか、対人的なものであれば改善できるか、感情的なものであれば、それをもっとコントロールできるかを考えるということです。自殺は、心の痛みに対処しきれなくなり、自殺以外の選択肢が見えなくなってしまった結果であり、セラピストへの指南書的な本書では、患者の目を塞いでいる「ブラインド」を取り除いて自殺以外の選択肢を示すことが大切だと説いています。

 私の娘は子供の頃から「自殺念慮(死にたい気持ち)」を抱えて生きてきたと言いますが、本書は「自殺念慮自体を病気であるとすべきではない」と強調しています。(自殺の恐れがあるとなると強制入院させられるため、病気でない点を強調しているのかもしれません。強制入院は新たなトラウマとなる可能性があるからです。)娘はセラピストに、たとえ自殺念慮が生じても、それを「old friend」と考えればよい、と言われたそうです。つらくてたまらず、出口が見えない時、「死んでしまいたい」と思うことは不思議ではありません。無力な子供だった自分にとって唯一の逃げ道を提供していた自殺念慮はある意味安心感さえ与えてくれたと娘は言います。またそれが舞い戻ってきたら「どうしよう」とパニックすることなく、静かに「どうして戻ってきたの」と尋ねてあげる存在だと考えればよい、だから「old friend」なのだ、と。そう考えたら、私自身、少し気が楽になったようにも思います。

 本書では、自殺念慮をもっている人をSuicide Ideator、未遂した人をSuicide Attempter、完遂した人をSuicide Completerと分類していますが、念慮者にとって自殺は問題解決のための1つの方法であり、逆に言えば問題を解決したいという意志があるということなので、念慮者は通常カウンセリングに前向きで、未遂者よりも自殺衝動につながることを予防できる確率が高いのだそうです。「生きるのがつらい」という言葉に対する「なんとかなるさ」という私の反応は、何とか元気づけようとする気持ちではあっても娘の気持ちに寄り添った言葉ではなかった、と今では思えます。「もっと前向きに考えよう」とか「なんとかなる」とか言うよりも、「つらいね」と心の痛みにまず共感してあげることが、最初の第一歩なのです。私の娘も、もう数年来カウンセリングを続けていますが、本書の著者がセラピーの長期目標とする「Life Worth Living(生きる価値のある人生)」と思える日がいつか来ますように、それが今の私の切なる願いです。

 

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