共依存
私が娘の世話のためカリフォルニア州に来てから2年以上経ちました。今の私の目的は、いつか私がこの世を去ったときに娘が一人でも暮らしていけるようにしてやること。でも今は、みためはふつうでも、ふつうの人ができることができない。だから私がほとんど身の回りの世話をしています。そこで陥ってはいけないのが共依存の関係です。共依存とは、互いに過剰に依存しあって、自分を見失っている不健康な関係だと、私は解釈しています。そして、共依存親子でいる限り、どちらも自立はできないのだ、と。CoDA(Co-dependents Anonymous)という共依存からの回復を目指す自助グループのパンフで自分に思い当たる項目があまりにたくさんありました。そしてその中には、日本で美徳とされる特徴も多くあります。例えば:
- 自分の真の気持ちを押し殺す
- 自分を無私の献身的な人間だと思う
- 自分は誰からの助けも必要ないと思う
- 自分のことは差し置いて、常に相手の欲求を優先する
- 衝突を避けるためにはっきりものを言わない
などなど(https://coda.org/meeting-materials/patterns-and-characteristics-2011/)。
私の大好きな宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」はもしかしたら共依存そのものかもしれません。「慾ハナク」「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ」「ミンナニデクノボートヨバレ」みんなを助けて自分は静かに笑っている、そいうものになりたい、というのですから。特に日本では常に自分より家族を優先するのが理想の母親像のようになっていて、私も知らず知らずそうなり、自分が一体何をしたいのかわからなくなっていたような気がします。
「私の幸せは、あなたが幸せになることだよ」と言っていた自分。それではだめなのだと気が付きました。私の幸せは、私自身がみつけなくてはいけない。そうでなければ、相手も幸せになれない。でも、自分自身の幸せをみつけること、それは意外に難しいことなのです。